水溶性コンドーム

毒にも薬にもなったほうがいいんじゃないのか

仁義なき課金vs無課金論争

今やスマートフォンは「高いゲーム機」と言われてしまうほど、ソーシャルゲーム、略してソシャゲは普及している。
ゲームに一切興味のなかった私の上司ですら、iPhoneを手にして二年目、ついにソシャゲ漬けになってしまった。
ジャンプを買えば毎週裏表紙はソシャゲの広告、ランチを取りにいけば大多数がスマホ片手にゲーム。そういう時代だ。

そんな「ソシャゲ界隈」で定期的に起こる論争がある。
それが「無課金ユーザー vs 課金ユーザー」という不毛な論争である。
ちなみにこの記事は、どちらかを擁護するとかそういう目的ではなく、あくまで論点の整理が目的である。

お互いの主張

まずは、SNSでよく見るお互いの主張をあげてみる。

課金者の主張

・課金者が居なくなったらサービスは終了する
・課金をしているのだから、無課金者より優位に立ち、優遇されるのは当たり前
・ビジネスなのだから、このゲームは課金者によって成り立っている

無課金者の主張

・基本無料なのだから払うこと自体がおかしい
・サービスが終了したら(課金したものは)無意味になる
・無課金でここまでやれている自分は凄い
・課金者が優遇されるのはずるい

どちらも本当に僅かな層だが、だいたいこんな感じのを良く見る、そしてだいたいバズっている。
もう圧倒的水掛け論。


課金しますか、しませんか

ソシャゲのビジネスモデルは明確で、
「基本ダウンロード・プレイは無料」
「但し課金をする事によって他のプレイヤーより近道ができる」

である。

この「近道」はゲームによって様々だが、概ね「ゲーム内のガチャ利用・プレイ時間を延長する為に使うアイテムを購入する」というものだ。
ガチャは100%を保証するものではないが、「他人より多くガチャを利用することができる」ようになり、当然優位になる。
また、いわゆるスタミナを消費するタイプのソシャゲは、このガチャ用のアイテムを使用することによってスタミナを回復できるようになっており、「通常時間経過によって貯まるのを待たなければいけないスタミナを一瞬で回復できる=プレイ時間の増加」という恩恵も受けることができる。
これが課金者の持つアドバンテージである。

ただし勘違いしてはいけないのは、あくまでこのソシャゲは「基本無料をうたっている」ことだ。
お金を使うか使わないかは本人の意思であり、そこには優劣はない。
「無料以上のサービスを受けたければお金を払ってね!」というだけだ。

ではそれぞれ、ソシャゲ運営に対してどう貢献しているのだろうか。

課金者の場合

・運営会社に対してお金(=運営資金)を払っている
・そのゲームをプレイしている(SNS等の宣伝効果)

無課金者の場合

・そのゲームをプレイしている(SNS等の宣伝効果)

差はあるが、どちらも貢献はしている。
プレイさえしていれば、それはSNSなのかブログなのか飲み屋なのかしらないが、友達なり、そこから広がってプレイヤーが増えるかもしれないし、彼らは課金者になるかもしれない、そういう意味ではプレイする事自体が広告なのだ。
事実、ジャンプなんかの裏表紙に載ってるソシャゲの広告で、一番うたわれているものは「ダウンロード数○○万突破!」である。


私の家の近くに、「60分までは駐車無料」の駐車場がある。
・60分経つ前に車を出して無料で使用する
・60分以上停めたいからお金を払う
この二つはどちらも間違っていない。
間違っているのは
「(お金を払っていたとしても)60分以上停めているのはずるい」
と言い出してしまうごく僅かな層であり、またわざわざ
「俺は金払って120分停めてるんだぜ」
と主張してしまう層である。


そのほかにも、入口が「基本無料」を大々的にうたった結果、「そもそも無料で遊べるのが当たり前」になり、「課金者への優遇はずるい」に繋がっている気がする。
そしてそこに反応する一定層の「課金者」がいて、結果対立が起こっている。
要するにこれは、ただの「価値観の押し付け合い」である。
そこには「基本無料」を入口とするソーシャルゲームのビジネスモデルがそもそもどうなのか、という問題はあるが。

課金者も無課金者もプレイヤーなのだから、プレイヤー同士仲良くすればいい。
差はあれどもどちらも運営に貢献しているのだから、区別をつけて叩き合う必要なんてない。
そもそもだよ、そのゲームに課金をするかどうかは、ビジネスなのだから、運営の努力次第ということもある。
課金しようがしまいが、その人のプレイスタイルがあり、そもそも決められたプレイスタイルなどない。

まして個人の経済力が云々とか言い出したら、そんなものはもうソシャゲは関係ない。
経済力なんて、その人のそれまでの人生の結果なのだから。

ただ見てて思ったのは「本当にくだらねぇ」に尽きる。